古代オリエント世界は統一、分裂を繰り返しました。

アッシリア王国(都:ニネヴェ)

紀元前7世紀前半にメソポタミア、エジプト、シリア・パレスチナの全オリエント征服し、北メソポタミアに建国されました。サルゴン2世が全オリエントを統一して都はニネヴェが中心でした。街には水路が通り、香辛料やぶどう酒がお店にならび、酒場ではいちじくビールが提供されていました。

サルゴン2世の子、センナケリブの時代にバビロンまでも支配下に治め、黄金期を迎えました。センナケリブは後継者に指名されていた次男のアルダ・ムリッシを退け、エサルハドンに変更しました。センナケリブはアルダ・ムリッシに暗殺されてしまいました。結局は、後継者争いを制したエサルハドンがアッシリア王に就きました。後継の王として指名したのが、アッシュルバニパルでした。

アッシリア帝国の黄金期最期の王・アッシュールバニパル王の狩猟の様子を描いた石製の浮彫(大英博物館)が残っています。学問の関心が高かったバニパル王はクユンジクの丘に図書館を設立しました。様々な粘土板の文書が残され、ギルガメシュ叙事伝もその一つです。

紀元前668年に即位したアッシュル=バニパル王の時代に、エジプトをも支配下に置き、アッシリア王国の最大領土を築きました。アッシュールバニパル王の狩猟の様子を描いた石製の浮彫(大英博物館)が残っています。学問の関心が高かったバニパル王はクユンジクの丘に図書館を設立しました。20000枚以上の様々な粘土板の文書が残され、ギルガメシュ叙事伝の写本もその一つです。

アッシリア王は強大な専制君主で、国内を州に分け、駅伝制を実施しました。各地に総督を置いて統治し重税や圧政の過酷な支配を行った結果、服属民たちの反乱により崩壊し、再び国は分裂しました。

四国分立

エジプト

リディア

小アジア西部のリディア人の王国で紀元前546年にアケメネス朝ペルシアに滅ぼされます。世界最古の鋳造貨幣(エレクトロン貨)が発見されています。

歴史家・ヘロドトスは、「我々の知る限りでは、金銀の貨幣を鋳造して使用した最初の人々であり、また最初の小売り商人でもあった。」と発言しています。

新バビロニア

建国者はナボポラッサルで、メディア王国と手を結び、首都ニネヴェを破壊しアッシリアは滅びました。

2代目の王・ネブカドネザル2世(2代目の王)は、エジプトを破り、ユダ王国を手に入れました。紀元前587年、反乱を起こしたユダ王国を滅ぼし、バビロン捕囚(ヘブライ人を新バビロニアに強制移住させた)を開始しました。紀元前539年にアケメネス朝ペルシアに滅ぼされました。

イシュタル門

新バビロニアのネブカドネザル2世により建設されました。ドイツ・ベルリンのペルガモン博物館に復元されています。

空中庭園

世界七不思議の一つ「バビロンの空中庭園」は、王宮の城壁に数段のテラスを作り、樹木を植えました。

メディア

イラン地方、インド・ヨーロッパ諸系の人々が居住していました。紀元前550年にアケメネス朝ペルシアに滅ぼされました。

アケメネス朝ペルシア(都:スサ)

キュロス2世(前559?~529年)

メディア人とペルシア人の混血であるキュロス2世がメディア、リディア、新バビロニアなどを滅ぼし建国しました。征服した民族の宗教・習慣を重んじ、新バビロニアが奪った神々を元あった土地に返還し、神殿の再建援助しました。そしてユダヤ人へ故郷の帰国を許しました。

カンビュセス2世(前530~522年)

2代目は、キュロス2世の子が務めました。死後、後継者をめぐって国内が乱れました。

ダレイオス1世(前522~486年)

3代目で最盛期を迎えました。全国を20州に分け各州にサトラップ(知事)を置きました。ところが、サトラップが支配する土地は独立を目論んだ反乱が絶えませんでした。そこで、「王の目」「王の耳」と呼ばれる監察官を巡回させ専制的な中央集権国家を成立させました。

また、スサ~サルデス間に「王の道」と呼ばれる国道をつくり駅伝制を整備しました。それは、たった1週間で行き来することを可能にするものでした。

ダレイオス1世以来3代にわたって作られたペルセポリスは儀礼用の都として作られ、国内外に権力を誇示しました。

ペルシア戦争(紀元前500~紀元前449年)

サルデスのサトラップ・アルタプレネス(ダレイオス1世の弟)がイオニア都市ミトレス(アリスタゴラス)を援助していました。そして、イオニアとアテネ連合軍がサルデスに侵攻し、始まりました。ダレイオス1世はギリシアの勝利を目にすることなく紀元前486年に亡くなりました。

ダレイオス3世(前336~330年)

アレクサンドロス大王とのガウガメラの戦いに敗れて逃走するも、バクトリアのサトラップであるベッソスに殺害され、アケメネス朝ペルシアは滅亡しました。ペルセポリスはアレクサンドロス大王に焼かれて廃墟になりました。

文化

ゾロアスター教

紀元前7世紀~前6世紀ごろ、古代ペルシアのゾロアスターが、はじめた多神教を信仰しました。火を神聖視した拝火教で、アフラ=マズタ(善神)とアンラ=マンユ(悪神)の二神教です。善神を信じるか悪神を信じるかは各個人の自由とされていました。この二人の神の闘いが最後の審判により決着すると楽園にはいるという教えです。ユダヤ教やキリスト教に影響を与えました。

アルマゲドンの戦い

善の軍勢と悪の軍勢の雌雄を決するアルマゲドンの戦いは、メギドの丘であろうと考古学者たちの見解です。メギドは、エジプトとアッシリアの交易ルートとして何度もエジプトやイスラエル人に征服され、焼き払われ再建されてきた地です。

セレウコス朝シリア(都:クテシフォン)

アレクサンドロス大王の死後、後継者の一人であったセレコウス1世ニカトルが築いた王国を建国しました。ギリシア人が独立してバクトリアを建国、遊牧イラン人の族長アルケサスがパルティア(中国名:安息)を建国しました。

ササン朝ペルシア(都:クテシフォン)

農業に基礎をおくイラン人が、パルティアを倒して建国されました。

アルダシール1世

ササン朝ペルシアを建国し、首都をクテシフォンに置きました。ゾロアスター教を国教に定めて、国の統一をはかりました。

シャープール1世(2代目)

ローマ帝国を破り、ローマ皇帝ヴァレリアスを捕虜にするなど強大化しました。またインドのクチャーナ朝も滅ぼしました。

ホスロー1世(21代目)

遊牧民エフタルの侵入を受け一時衰退するも、トルコ系遊牧民の突厥と結びエフタルを滅ぼし、復活しました。

ホスロー1世の没後はしだいに衰え、7世紀半ばに新興のイスラム勢力であるアラブ人とのニハーヴァントの戦いによって滅亡しました。

文化

ゾロアスター教

アルデシール1世が国教にしました。教典である「アヴェスター」が完成しました。

マニ教

民間レベルで成立した宗教で、マニが創始しました。ゾロアスター教、キリスト教、仏教を融合した新しい宗教でした。国内では異端として弾圧されましたが、北アフリカやユーラシア大陸一体で広く信仰されました。中国にマニ教の寺院(草庵寺)が世界で唯一現存しています。

美術・工芸

織物やガラス器・陶器が中国・飛鳥・奈良時代の日本に伝わりました。法隆寺の獅子狩文錦や、正倉院の漆胡瓶などが代表的です。

参考図書

学研まんが new世界の歴史①

  • エジプト文明
  • 古代ギリシア