ミディ運河の建設は、太陽王ルイ14世(1638年~1715年)の治世の元行われました。王が建設を許可した勅書が残っています。交易ルートを短縮するため、いくつもの難問を当時の先端技術を駆使して作られました。

エンジンがなかった17世紀、船で丘を昇るために編み出された7連続の水の階段は、世界産先端の仕掛けでした。

玄関口はイタリアのベネチアに似ている町・セート。ミディ運河により大いに栄えました。エンジンがなかったため、脇の小径を馬にロープを引かせて進みました。強い日差しから馬を守るために、およそ45000本の並木道が30年をかけて作られました。

ミディ運河の道のり

ミディ運河は内陸に進むと蛇行します。真っ直ぐではないのは高低差を避けるためです。丘陵地帯を迂回し、麓をぬう様にして運河が作られました。また、地中海から50㎞の町・ベジエでは、オルブ水道橋のように、運河が川の上を通っている姿が見られます。

そして船は、楕円形をしたプールのような場所にたどり着きます。高さ21mの丘を超える、ミディ運河建設の最大の難所です。そこで編み出されたのは、水の階段でした。船はロックと呼ばれる場所に収まると後ろの門が閉じます。1段高いロックから水が流れ込みます。ロックの水位が同じ高さになった時、船は1段上のロックへ移動します。こうして、およそ1時間かけて、1段で3m昇りました。

また世界初の運河トンネル「マルパ運河のトンネル」も作られました。アイデアの元はトンネルのすぐ脇にあるまるでミステリーサークルのような畑でした。放射状に広がる用水路は既に13世紀には作られていました。柔らかい砂岩の地層だったため水路を掘ることが出来た事を発見し、トンネルだって掘れるはず!ということで、迂回するには広すぎた丘を手作業で穴を掘り貫き克服したのです。トンネルを通る時に確認できるボコボコは、柔らかい砂岩のために風に削られた跡です。

さらに最大の難問、人工の運河の水源はどうするか?常に水を補給しないと運河は成り立たちません。解決させたのは、運河のために作られたサン・フェレオール貯水湖でした。人工に湖が作られたのも世界初でした。運河の最高地点よりも高い所に水源を作り、全長240㎞の運河を水で満たしました。

運河の終着は、バラ色の町と称される南フランスを代表する都市・トゥールーズです。運河の交易により一時はフランスいち豊かな都市となりました。

ミディ運河建設の結果

地中海から大西洋へ行くにはスペイン沖を回っていました。ミディ運河を造ったことにより、3000㎞もの距離が短縮され、南フランスの産物を輸送できるようになりました。運河周辺ではワイン用のブドウが盛んに作られ、フランス一の生産量を誇りました。

ミディ運河によって、地中海の品種だけでなく、大西洋側からも様々なタイプのブドウが持ち込まれ、育てられました。地理的には地中海寄りだが、大西洋気候の影響も受けるユニークな土地だった為、両方の地域の品種を育て宇ことができました。様々な品種で作ったワインをブレンドすることで、ここだけのワインが誕生しました。樽詰めされたワインがミディ運河で運ばれフランス各地で人気を博しました。

ミディ運河の情報

地図