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モン・サン・ミシェルはフランス語で「聖ミカエルの山」という意味です。伝説では、島はもともと陸続きで、森の中にそびえる山でした。大天使ミカエルより岩山に聖堂を建てるようにと、お告げを受けた司教オベールが聖堂を建てると、津波が森を飲み込み、山は陸と切り離され、島になったそうです。

この湾は、潮の干満差が大きく、満潮時には島全体が水に囲まれます。そのため、突然襲ってくる潮に流され、修道院を訪れようとした数多くの巡礼者が命を落としたといいます。

中世966年にノルマンディー公リシャール1世により、岩山にベネディクト会の修道院の建築がはじまり、修道院が築かれて以来、巡礼地として栄えてきました。

ベネディクト会とは

現代も活動するカトリック教会最古の修道会です。ベネディクト会では黒い修道服を着用したことから「黒い修道士」と呼ばれていました。修道院の生活の規範とした戒律(服従・清貧・童貞)は、フランシスコ会、ドミニコ会以後多くの修道会のモデルとなりました。

12世紀末のロマネスク様式から、16世紀前半に完成した内陣はゴシック様式と数世紀にわたり、増改築を繰り返し中世の多様な建築様式が見られます。

13世紀には、フィリップ2世の寄進によって修道院の北側に「ラ・メルヴェイユ(驚異の建築)」と呼ばれるようになった壮大なゴシック様式の建物が完成しました。低層階は巡礼者のための宿泊施設や食物貯蔵庫、中層階は貴賓室や騎士室、最上階は修道士の居住スペースでした。

14世紀の百年戦争では、イングランド軍がモン・サン・ミシェルに迫りました。この時、修道院は閉鎖され、城壁や塔が築かれ、修道院と要塞が融合した現在の姿が造られました。

16世紀の宗教戦争の際も旧教徒軍がモン・サン・ミシェルに立て籠り、新教徒軍の攻撃を凌いだといわれています。16世紀以降、岩山の斜面に巡礼者のための店や宿がつくられましたが、次第に修道院は衰退していきました。

18世紀末のフランス革命では、囚人の監獄として使われました。修道院として復興するのは20世紀半ばのことでした。

1877年に対岸との間に地続きの道路が作られ、潮の干満差に関係なく島へと渡れるようになりました。潮流をせき止めたことにより、砂や泥がたまり、岩山の周囲の海底が3mも上昇してしまいました。そのため、島の間際まで潮がくることは滅多になくなり、かつての姿を取り戻すため道路が取り壊され、2014年に新たな橋が完成しました。

モン・サン・ミシェル修道院内部の見どころ

哨兵の門

14世紀建築の修道院の入り口にある門です。2つの小さな塔から成り、外壁ののぞき穴から侵入者を監視していました。

大階段

聖堂へつながる唯一の通路です。高い壁に挟まれた通路上部の2つの橋から敵を攻撃することができました。90段の階段で西のテラスへ上ることができます。

西のテラス

海を見渡せる絶景が楽しめます。床の石畳には教会建築に携わった中世の職人たちのサインが残されています。

修道院付属の教会

11世紀に完成しました。本堂北側は12世紀のロマネスク様式、内陣と後陣は15~16世紀のゴシック後期のフランボワイヤン様式です。

列柱廊

最上階の回廊(ラ・メルヴェイユ)は、修道士の祈りと瞑想の場でした。220本の円柱がわずかにずれて並んでいるのは、視覚効果で無限に続くような錯覚を覚えます。ゴシック様式の建造物として高く評価されています。

食堂

船の底のような丸形天井をした食堂です。

迎賓の間

修道院長が身分のある訪問者を迎えた場所です。大きな2つの暖炉でイノシシや鹿を焼いたといわれています。中世で最も優雅な建築の一つとされています。

聖エティエンヌ大聖堂

死者のために設置されたチャペルです。祭壇の下には「AZ(永遠を表す意味)」の文字が書かれています。19世紀には、ハンセン病患者が収容されました。

大車輪

中階の納骨堂にあります。修道院が牢獄として使われていた頃、食物を上階に運ぶために設置されました。

修道院の遊歩道

修道士が散歩の疲れを癒した場所といわれています。天井の交差アーチがロマネスク様式からゴシック様式の転換期を示しています。

騎士の間

修道士が写本や彩色を行った仕事部屋(執務室)です。天井まで届く大きな暖炉が2つ設置されています。巡礼者や下層階級の人々を迎えた司祭官もあります。

モン・サン・ミシェル島内散策

王の門

砦の守りを固めるため15世紀に造られた門で、侵入者を防ぐために跳ね橋と落とし格子門があります。塔の上方には警備兵が巡回していた通路があります。

聖オベール礼拝堂

聖ミカエルのお告げを聞き、8世紀に修道院を築いた聖オルベールを祀る礼拝堂です。

グランド・リュ

島のメインストリートです。かつて巡礼者たちに宿や食事、巡礼の証を提供するお店が並んでいました。現在もレストランや、お土産屋さんが集まっています。

大通り門

入口から2番目に見える門です。15世紀に警備を強化するために造られました。

ガブリエル塔

16世紀に国王代理官ガブリエル・デュプイが設置した塔です。全方角からの攻撃に応じられる仕組みになっており、内部には大砲が供えられていました。19世紀からは灯台として使用され、見学は外からのみ可能です。

モン・サン・ミシェルへの行き方

周囲1km、高さ80mほどの島の入り口は南側の1カ所のみです。王の門を抜けグランド・リュ(参道)の細い坂道を上ると、徒歩10分ほどで修道院の入り口に到着すします。階段や坂道が多いので歩きやすい服装&靴で訪れたい場所です。干潟をガイドなしに歩くことは禁じられているため、ガイド付きツアーに参加したいです。

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モン・サン・ミシェルの情報

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