テオティワカンは首都・メキシコシティの北東約50㎞の内陸部にある古代遺跡です。紀元前1世紀頃から6世紀まで栄えた巨大都市です。

アメリカ大陸で最大の古代の計画都市でした。標高2000mを超える高原で栄えたテオティワカンでは、350年~650年に最盛期を迎え、都市の面積は20㎢、人口は15万人を擁しました。

テオティワカンの巨大都市には王が存在したと考えられますが、100年以上(発掘調査はメキシコ独立後の1884年から開始)立つが王の墓は見つかっていません。また文字が残されておらず、唯一残されている文字らしきモノも解読されていない謎の多い遺跡です。

テオティワカンの主な遺跡

太陽のピラミッド

テオティワカンで最大の建造物です。どのような目的で建てられたかは不明です。高さ65m、底辺の長さ223mあります。作られた当時は、まだ石の道具しかなく、石で石を削り出し積み上げました。頂上で何らかの儀式が行われたと考えられています。夏至に太陽がこのピラミッドの真向かいに沈むよう計算されており、天文知識を有する者がいたと考えられます。

月のピラミッド

テオティワカンで2番目に大きな建造物です。どのような目的で建てられたかは不明です。北の端に建てられました。

2002年、月のピラミッドの頂上付近で、3体の人骨と共にヒスイの装飾品が出てきました。その中に棒状のペンダントがありました。これは、マヤの王を描いたレリーフで、マヤ王にかけられたペンダントと同じ形をしていました。マヤのヒスイは位の高い者だけに許された装飾品でした。

そして、マヤの遺跡からは黒曜石が出土しており、ユカタン半島に栄えた別の文明である「マヤ」との交易を裏付ける出土品が見つかりました。

ケツァルコアトルの神殿(羽の生えた蛇神殿)

テオティワカンで3番目に大きな建造物です。どのような目的で建てられたかは不明です。上空から見ると正方形の建物です。羽の生えた蛇から浮かび上がったのは83㎝という長さの建物の基本単位でした。あらゆる場所が83㎝の倍数を使用している事が分かりました。

2003年、「羽の生えた蛇神殿」の正面に竪穴が見つかり、地下15m、横に100m余りの謎の地下トンネルが発掘されました。真下からは137体もの生贄の人骨と、13万点の出土品が出ました。更に、かなり良い状態で1700年以上も昔の花束が見つかりました。

出土品の中には焼き物の人形や、テオティワカンの周辺で獲れた黒曜石のナイフが見つかりました。黒曜石は刃物を作る貴重な材料でした。

見つかった137体の人骨は、当時神に捧げられた生贄でした。黒曜石のナイフで胸を切り裂き心臓を神に捧げていました。方角ごとに男女を分けて法則性のある埋め方をしていました。

また、出土品の中には長さ30㎝ほどの巻き貝が発見されました。貝にはジャガーかピューマの毛皮を纏った人物が描かれていました。テオティワカン周辺に海はないので、これもマヤとの交易があったと考えられる出土品の一つです。

死者の大通り

幅45m、長さ4㎞。大通りの両脇には階段があり、アステカ人がこの道の両脇の建造物を墓だと考えて命名されました。実際には、墓ではなく、タルー・タブレロ式(斜面部分の基壇と直線的で平坦な基壇を組み合わせた建築様式)の建造物が整然と配置されたものでした。

ケツァルパパントラの宮殿

貴族の宮殿とみられる豪華な装飾が施された建物です。王や貴族がいた階級社会だった証となる遺跡です。

石柱の広場

生贄の動物たちが発掘されました。2000枚以上のマヤ壁画、3000片の切断された人骨、数百片の陶器、オブジェ、そして動物の遺骨が発見されました。

2016年、太陽のピラミッドの斜め向かいにある「石柱の広場」の地面を掘ると、色鮮やかな壁画の破片が沢山出てきました。その特徴からマヤの壁画だと判明しました。

テオティワカンの壁画の特徴は平面的な描き方で抽象的です。マヤの壁画は色彩豊かで描写が細やかという特徴があります。発掘された壁画には、マヤの壁画の特徴がありました。

更に同じ場所で食事に使う器も大量に発掘されました。テオティワカンの支配者層と、マヤのトップクラスのエリート層が大規模な宴会を行ったのではないか、つまり国家のトップクラスの人物達が交流していた物証であるとみられています。

また、別の地域の国家との交流の証も見つかっており、大通りには様々な人々が行き交っていたかも知れません。

テオティワカン発見までの歴史

巨大な古代都市だったテオティワカンは8世紀の中盤には廃墟と化しました。原因は不明ですが、火災の跡がある事から戦争や内紛があったと推測されています。

14世紀に入りメシーカ人が侵入し、「神々が集う場所」を意味するテオティワカンと命名し、聖地化しました。その後16世紀にアステカ帝国を征服したスペイン人には遺跡が理解できなかったといわれています。

1884年メキシコが独立後、発掘調査が開始されました。発掘から100年以上がたった今も発掘が続けられており、広大な都市部の大半は地中に眠っているといわれています。

1987年、古代に繁栄した高度な文明の証として世界遺産に登録されました。

参考にした本&サイト

くわしく学ぶ世界遺産300<第5版> 世界遺産検定2級公式テキスト

TBSテレビ 世界遺産

テオティワカン 地図

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