インダス文明

紀元前2600年ごろ、先住系民族(ドラヴィダ人)によって、インダス川流域に形成されました。

都市は日干し煉瓦で築かれ整然とした街路や排水施設、穀物倉庫などが建造され、1000年近く繁栄したと考えられています。

主な遺跡として、ハラッパー(インダス川上流のパンジャーブ地方)や、モヘンジョ・ダロ(インダス川中・下流域のシンド地方)があります。青銅器やインダス文字、彩文土器が発見されています。インダス文字の彫られた印章が発見されいますが、文章の形での出土がないため、未解読となっています。

前1800年頃から次第に衰退した理由は解明されていません。

ヴェーダ時代

インド=ヨーロッパ系の遊牧民アーリア人がカイバル峠を越えて、インドに侵入してきました。先住民のドラヴィダ人を軍事的に支配し、融合し勢力範囲を広げていきました。

アーリア人とドラヴィダ人には、肌の色を基準とした原始的な身分差別が生まれました。農業生産の向上のため階級を分化したヴァルナ制という身分制度が生まれました。

・バラモン:宗教儀式を司る司教
・クシャトリア:政治、軍事を担当する武士や貴族
・ヴァイシャ:農業や商業などに従事する庶民
・シュードラ:最下層の被征服民、隷属民

4つの階級がジャーティ(出自・生まれ)と結びつき、上下関係が細分化されました。インド社会独特のカースト制度が生まれました。さらに紀元前6世紀頃には、ヴァルナの枠外に不可触民とよばれる差別ができ、現在でも根強い問題となっています。

神々への讃歌であるリグ=ヴェーダをうみました。バラモン教の聖典であるヴェーダが生まれました。やがて、アーリア人はガンジス川流域へ移動し、稲の栽培や鉄器を使用するようになりました。

小国分立の時代

ガンジス川流域にたくさんの小国家が興りました。コーサラ国やマガダ国などが有力な国でした。この時代に、バラモンたちが権威主義に陥っていると批判した2つの宗教と1つの哲学が興りました。

仏教

ガウダマ=シッダールタ(仏陀)が創始しました。ヴァルナ制を否定しました。欲を捨て、悟りを開く精神的修行を重視しました。生前の行為によって死後に別の生を受ける過程が繰り返される輪廻転生という迷いの道から、人はいかに脱却するかという解脱の道を説きました。仏教は、クシャトリア層が支持しました。

ジャイナ教

ヴァルダマーナが創始しました。。ヴァルナ制を否定しました。徹底した苦行と不殺生主義が特徴です。ジャイナ教は、ヴァイシャ(特に商人)が支持しました。

ウパニシャッド哲学

バラモン教の内から改革運動が生まれました。祭式至上主義から内面の思索を重視しました。

マウリヤ朝

初代:チャンドラグプタ王

ガンジス川流域を支配していたマガダ国のナンダ朝を倒して、都をパータリプトラに置きました。インド初の統一王朝となりました。

2代目:ビンドゥサーラ

前王の死後各地で発生した反乱を鎮圧し、マウリア朝の拡大を継続させた王でした。

3代目アショーカ王

跡継ぎではありませんでしたが、兄・スシーマら兄弟を殺して王になったと考えられています。アショーカ王の時に最盛期を迎えました。

そして、アショーカ王の祖父・チャンドラグプタ王を敗退させるなど、覇権を争ってきたカリンガ国と対決し、勝利しました。この時カリンガの捕虜のうち10万人以上が惨殺されました。

戦争での虐殺や肉親を殺した後悔から、仏教に帰依しました。そこで、ダルマ(法、守るべき社会倫理)に基づく政治を行いました。各地に仏典の結集(編纂)や、磨崖碑(崖を削って勅令を刻んだ)を刻ませました。また、スリランカへ仏教を布教しました。また、仏教を保護しながら自らも仏教徒となりましたが、他の宗教にも寛容でした。

磨崖碑・石柱碑

カリンガ国征服での残虐な行いや多大な犠牲を反省し、以後は武力による拡張、統一政策を行わないつもりであるという決意も刻まれました。石柱碑は現在もインド各地に残されています。

晩年のアショーカ王は権力を失い、子によって幽閉されたといわれています。アショーカ王の死後、マウリヤ朝は衰退しました。

クシャーナ朝

バクトリア地方からインダス川流域に入ってきたクシャーナ族が建国しました。都はプルシャプラに置かれました。カニシカ王の時代が最盛期で、ギリシア文化の影響を受けたガンダーラ美術が興りました。

ガンダーラ美術

写実的な表現をすることを避けてきた仏教徒達が、ヘレニズムの影響を受け、ギリシャ彫刻の手法を用いて仏像や菩薩が作るようになりました。

それまでの仏教は、個人の救済を目指す小乗仏教(上座仏教)で東南アジア(タイ、ミャンマーなど)に伝わっていきました。

そして、ナーガールジュナが理論を確立した大乗仏教は、菩薩信仰を中心に万人の救済を目指し、中国や日本などに伝わりました。

サータヴァーハナ朝

中南部のインドに設立し、ヴェトナムのオケオを経由して、ローマ帝国や中国(後漢)への貿易で繁栄しました。

グプタ朝

都はパータリプトラに置かれました。チャンドラグプタ1世が建国し、チャンドラグプタ2世の時に最盛期を迎え、仏教を学びに中国の僧・法顕が訪れました。

民間信仰を吸収しながら徐々に成立していたヒンドゥー教が社会に定借するようになりました。ヒンドゥー教は、シヴァ神、ヴィシュ神などを信仰など多くの神々を信仰する多神教です。生活や思考の全体にかかわる宗教でありインド世界の独自性をつくりあげた土台となっています。

異民族の侵略や、ローマ帝国の衰退によって打撃を受けたこと、地方勢力が台頭したことにより衰退し、6世紀半ばに滅亡しました。

文化

ナーランダー僧院

ナーランダー僧院が建設され、仏教教義研究の中心となりました。歴史家の間では、世界初の全寮制の大学で、古代世界で最も偉大な学問の中心地の一つと考えられています。

マヌ法典

紀元前2世紀から紀元後2世紀にかけて成立したと考えられている法典です。ヒンドゥー教の創造神ブラフマーの息子で、人類の始祖であるマヌが述べたものです。インド人(ヒンドゥー教)の生活規範について規定し、バラモンの特権的身分を強調し、バラモン中心のカースト制度の維持に貢献しました。

国家や国王の行政に関する事項、相続法、婚姻法なども含み、インド人の生活だけでなく、インド人の内面・精神部分にも触れることができます。

サンクスリット語

公用語として使われ、文学も生まれました。

二大叙事詩

「マハバーラタ」→古代インドの宗教文献「リグ・ヴェーダ」に現れる、インド・アーリア人部族のひとつバラタ族にまつわる大叙事詩です。
「ラーマーヤナ」→古代英雄コーサラ国の王子ラーマとその妻シーターとの物語です。

カーリダーサによる戯曲「シャンクンタラー」

ドゥシャヤンタ王の話です。ドイツを代表する文豪・ゲーテが気に入り、英語からドイツ語へと翻訳されヨーロッパに広く知られました。

グプタ様式

ガンダーラの影響から抜け出て、純インド的な仏教美術が生まれました。

天文学・数学

十進法による数字の表記法やゼロの概念が生まれました。

ヴァルダナ朝

古代インド最後の統一国家は、ハルシャ=ヴァルダナが建国しました。中国の唐からの使者、玄奘(三蔵法師)が訪問し、ナーランダー僧院で仏教を学びました。
ハルシャ=ヴァルダナの死後、国内は分裂し、急速に衰退していきました。

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