チャンチャン遺跡は、土で作られたアメリカ大陸最大の古代都市遺跡です。太平洋に面したペルー第3位の都市・トルヒーリョの近くに遺跡はあります。アンデス山脈の西側に広がる帯状の乾燥地帯で約20㎞²に50000人程が住んでいました。王国は優れた金の加工技術で知られ、インカ帝国は後に、その技術を手に入れて絢爛豪華な黄金文明を築きました。

気候は、沖合を流れるペルー海流は温度が低く雨雲を生む水蒸気が少ない為、乾いた砂漠となります。古代都市は海辺で栄えました。建造物の大部分は砂、粘土、藁を固めて干した、日干し煉瓦でできています。

チャンチャン遺跡はインカ帝国よりも古く、9c~15cまで続いたチムーの王国でした。当時、首都にはいくつもの王宮がありました。王が亡くなり、新たな王が即位すると新しい王宮が作られました。

チャンチャン遺跡の概要

王宮

王宮に入るには、長い通路を進みます。侵入者は壁の上から監視されました。壁の高さは12m程で、門は狭く、みだりに人が入れないように作られ、位の高い者だけが出入りを許されました。

王の墓

海に最も近い位置に作られました。王はミイラにされ王宮の奥まった地下に安置されました。出土品がミイラとなった王を崇める儀式を伝えています。王のミイラは人々の前に担ぎ出され、楽隊の演奏と共に祖先への祈りが捧げられました。

王宮のレリーフ

王宮には細かく区切られた10の部屋がありました。部屋には祭壇が設けられ、一つ一つの部屋が神様を祀る場所だったと考えられています。様々な神を象徴する、海鳥や波などのレリーフが彫られています。

漁業と農業

漁業と農業の両輪で栄えました。漁業は、何百年前もの漁法で今も魚を捕っています。弾力の強い葦・トトラで編まれた舳先が反り返る舟を操って漁場を目指します。農業は、アンデス山脈から大小50の川が流れ、その流域に畑が作られました。

生贄

2018年の発掘調査で、新たな発見がありました。仮面を被った戦士たちは手に人の頭を握っていました。おそらく生贄の首だと考えられます。

大いなる繁栄をしていた王国にエルニーニョが襲いました。エルニーニョとは、普段は水温の低いペルー海域に赤道方面からの暖流が流れ込み、積乱雲が発生し豪雨をもたらします。半世紀のうちに6回もエルニーニョが襲い、漁に出ることが出来なくなりました。また、農業の灌漑施設も決壊し、農作物も大打撃を受けました。畑のうね跡が今もクネクネと残っています。エルニーニョの恐れはレリーフにも残されています。左へ進む魚(恵みをもたらす寒流)と、右に向って進む魚(災いをもたらすエルニーニョの暖流)で現わされています。

また、人々はエルニーニョを鎮めようと生贄を捧げていたことも分かりました。膨大な人骨が出土しました。そのほとんどが6歳~7歳の子供でした。子どもたちは皆、海の方向を見るように埋葬されていました。生贄の儀式は大雨の中で行われ、子供達の足跡も残っています。地層を調べると西暦1400年から50年のものでした。あまりにも雨が続いたため大地は泥状だったことから、エルニーニョに襲われていた年代に生贄があったことと結びつくのです。

更にパンパ・ラ・クルスの頂上には、布に包まれたああ子供のミイラも発見されました。頭部は大きなアクセサリーで飾られ、左右には耳飾りをしていました。位の高い子供達まで生贄にされた事も分かっています。

何故、子供が生贄にされたのか?人々は、最も大切なものを神に捧げ、雨がどうか止むようにと願ったのだと考えられています。

滅亡

チムー王国の首都はエルニーニョによる大雨で破壊されました。そこに追い打ちをかけるようにインカ帝国の侵略があり、滅亡しました。

チャンチャン遺跡の情報

詳細

入場料 5ペルーソル
営業時間 平日 / 9:00~16:30、土曜日 / 9:00~12:00、日曜休み

地図