中世の歴史都市です。最初に軍事施設が建設されたのは古代ローマ時代(ガロ=ローマン期)でした。城壁の一部として残っています。

さらにその外側に城壁が作られたのは13世紀半ばのフランス王国ルイ9世(カペー王朝9代)の時代でした。隣国のアラゴン王国にたいする防御のため作られました。

フィリップ3世(カペー王朝10代)の治世下で、ナルボネーズ門、トレゾー塔、サン=ナゼール門などの建造が行われ、ガロ=ローマン期の城壁やコンタル城の外堡の修復も行われました。

1659年ペレネー条約(ルイ14世の時)によりスペインとの国境が確定すると、城塞都市の戦略的重要性が失われることとなりました。

荒れるがままに放置されていた城壁の歴史的価値が見直され、政府によって破壊が食い留められたのは1844年のことでした。建築家ヴィオレ・ル・デュクによって行われた修復プロジェクトは、門下に当たるポール・ベスヴィルバルドに引き継がれ1910年まで続きました。

ヨーロッパいち美しいと讃えられています。見事な二重の城壁を持ち「カルカッソンヌを見ずして死ぬことなかれ」と謳われる程の麗しの古都です。ワインで栄えた町で、今も城壁のすぐ後ろまで、ぶどう畑が埋め尽くしています。

歴史的城塞都市カルカソンヌの情報

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