【ロケ地】階伯(韓国ドラマ)
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階伯ロケ地めぐり&百済の歴史スポット
龍仁大長今パーク
百済の都を再現した大規模なオープンセット
address:778-1 Yongcheon-ri, Baegam-myeon, Cheoin-gu, Yongin-si, Gyeonggi-do, 韓国
扶余の聖興山城
百済時代の山城
address:산 1-1 Gunsa-ri, Imcheon-myeon, Buyeo-gun, Chungcheongnam-do, 韓国
百済軍事博物館
百済の軍事制度や武器、名将ケベクの最期を中心に紹介する博物館。黄山伐の戦いを通して、百済武人の戦いと忠義を学べる。
address:韓国 Chungcheongnam-do, Nonsan-si, Bujeok-myeon, 충곡로 311-54
百済階伯将軍遺跡地
この一帯が最後の戦いの地 「黄山筏(ファンサンボル)」
address:14 Sinpung-ri, Bujeok-myeon, Nonsan-si, Chungcheongnam-do, 韓国
百済階伯将軍の墓
黄山伐の戦いで殉国した百済の名将ケベクを追悼する象徴的な墓として整備されている。
address:산 4-1 Sinpung-ri, Bujeok-myeon, Nonsan-si, Chungcheongnam-do, 韓国
忠壮祠
1話に登場。階伯将軍の肖像画と位牌が祀られている。
address:1023 Geumgok-dong, Buk-gu, Gwangju, 韓国
扶蘇山城
百済後期の都・泗沘を守るためにを守るために築かれた王城兼山城。百済滅亡時、宮女が身を投げたと伝わる落花岩でも知られている。
address:31 Buso-ro, Buyeo-eup, Buyeo-gun, Chungcheongnam-do, 韓国
国立扶余博物館
「百済金銅大香炉」は百済美術の最高傑作
address:5 Geumseong-ro, Buyeo-eup, Buyeo-gun, Chungcheongnam-do, 韓国
弥勒寺跡
武王時代に建てられた百済最大の寺院で、この伽藍が3つ配置された巨大なものだった。現存する国内最古・最大の石塔。
address:97 Giyang-ri, Geumma-myeon, Iksan-si, Jeonbuk State, 韓国
国立益山博物館
百済後期の王都・益山の歴史と文化を紹介する博物館。弥勒寺跡の出土品や国宝級遺物を通して、百済の仏教文化と都城の姿を学べる。
address:362 Mireuksaji-ro, Geumma-myeon, Iksan-si, Jeonbuk State, 韓国
百済王宮博物館
百済王都の宮殿跡を中心に、王宮の構造や当時の政治・生活文化を分かりやすく紹介
address:666 Gungseong-ro, Wanggung-myeon, Iksan-si, Jeonbuk State, 韓国
王宮里遺跡
百済後期の王宮跡とされる遺跡。整然とした区画や排水施設が発見され、百済の高度な都市計画と王都機能を伝えている。
address:산80-1 Wanggung-ri, Wanggung-myeon, Iksan-si, Jeonbuk State, 韓国
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あらすじ
朱蒙や善徳女王を手掛けたスタッフが再集結し、百済の英雄ケベクの生涯を描いた大作時代劇。
百済の将軍ケベクは、将軍ムジンの息子として生まれながら平民として育つ。父の死と新羅での捕虜生活を経て真実に目覚め、復讐を超えた理想を胸に、ウィジャやウンゴとともに新たな国づくりへ歩み出す壮大な物語。
階伯 時代背景
百済30代武王~31代義慈王、百済:ケベク
武王について
百済の武王(在位600〜641年)は、国の再建を目指して大規模な改革を行った君主である。彼は王権強化を最優先課題とし、貴族中心の政治体制を改め、王を中心とする統治の確立を図った。また、益山を新たな政治拠点とする王都再編構想を打ち出し、王宮里遺跡に見られる計画的な宮殿整備や都市建設を進めた。
武王は仏教を国家統合の柱と位置づけ、弥勒寺を建立して弥勒信仰を広めることで、王権の正統性と国の再興を象徴的に示そうとした。対外的には新羅に対抗するため、高句麗との連携を含む軍事・外交政策を展開し、百済の国力回復を目指した。
これらの政策は、百済後期における理想の王都と国家像を示す重要な試みでした。
義慈王について
義慈王(在位641〜660年)は、百済最後の王として国の存続を担った君主である。即位当初は政治の刷新に力を注ぎ、官紀の引き締めや民生安定を進めるなど善政を行った。父・武王の改革路線を継承し、王権の立て直しを目指した点は高く評価されている。
一方、対外的には新羅への強硬策を採り、642年には多数の城を攻略して一時的に国威を回復した。しかしこの軍事的成功は、新羅が唐と同盟する契機となり、百済は国際的に孤立する結果を招いた。外交面では唐の台頭に十分対応できず、高句麗との連携も不安定であった。
後期には貴族間の対立や政治の混乱が深刻化し、王権は次第に弱体化する。660年、羅唐連合軍の侵攻によって百済は滅亡し、義慈王は捕らえられ唐へ送られた。義慈王の政策は、改革と攻勢の意欲を持ちながらも、時代の大きな変化に抗しきれなかった。
階伯ついて
ケベク(階伯・?〜660年)は、百済末期の名将で、国滅亡の直前まで戦った忠臣です。660年、羅唐連合軍の侵攻に際し、わずか約5千の兵で黄山伐に布陣し、新羅の大軍と激突。出陣前に、敗北を悟ったうえで家族が敵の捕虜や人質となることを避け、また自ら退路を断って必死の覚悟で戦うため、妻子を自らの手で殺したという悲劇的逸話で知られます。その最期は、百済武人の忠義と滅びゆく王国の悲壮さを象徴しています。
百済の政治制度
百済の政治制度は、官僚の序列を示す官等十六階を基盤に、最高位一品の佐平が六佐平制として国政を分担した。実務は二十二部司が担い、官等を持つ官人が配置された。さらに政事岩会議により、王と重臣が重要事項を合議で決定する体制が整えられていた。
官等十六階
- 1. 佐平(サピョン):最高位。国政を統括する重臣。6つの重要な分野を分担して六佐平が国政を運営した。
・兵官佐平:軍事
・内頭佐平:官僚統括
・外頭佐平:地方行政
・司直佐平・司法・監察
・朝政佐平:国家政策・儀礼 - 2. 達率(タルソル):佐平を補佐する最高幹部。階伯の最終官職
- 3. 恩率(ウンソル):中央政治を担う上級官僚
- 4. 徳率(トクソル):行政・軍事の要職
- 5. 扞率(カンソル):軍事・警備の指揮官
- 6. 奈率(ナソル):地方統治や軍務を担当
- 7. 将徳(チャントク):実務を担う中堅官僚
- 8. 施徳(シドク):行政実務の中心層
- 9. 固徳(コドク):文書・管理業務
- 10. 季徳(ケドク):下級実務官
- 11. 対徳(テドク):補助的官職
- 12. 文督(ムンドク):文官系の下位官等
- 13. 武督(ムドク):武官系の下位官等
- 14. 佐軍(サグン):下級武官
- 15. 振武(チンム):軍事補助官
- 16. 克虞(クゴ):最下位の官等・見習い的立場
二十二部司(22部司)
佐平などの高位官僚が二十二部司の長官を兼任し、下位の官等を持つ官人たちがその部司に所属して実務を行いました。官等十六階の官人が、二十二部司に配置されていた。
政事岩(チョンサアム/정사암)会議
これは王と佐平などの最高官僚が参加する国政会議で、特に重要政策や王位継承など国家の大事を合議で決定しました。有名なのは、岩(いわ)に集まり、票を入れて多数決で決めたと伝えられている点です。百済は王権だけでなく、重臣の合議によって国政が動く体制だったことが特徴です。
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